CHVRCHES(チャーチズ)のローレン・メイベリーが英ガーディアン紙に寄稿した「私はネット上での女性蔑視を受け入れません」 の全訳掲載


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以下の文章はCHVRCHES(チャーチズ)のローレン・メイベリーが9月30日に英ガーディアン紙に寄稿したものです。

そのキュートなルックスで注目を集めている彼女ですが、オンライン上で受け取るメッセージは決して彼らを応援するものだけではないそう。

日本ではあまり女性アーティストがこのようなステートメントを出すことがない状況だからこそ、是非多くの人にも読んで欲しいと思い日本語訳を掲載しました。是非読んでもらえればと思います。

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「私はネット上での女性蔑視を受け入れません。」
私はインターネット上に生まれたバンドのメンバーです。

CHVRCHESは2011年10月に結成され、曲作りを始めましたが、公の場に不安定な第一歩を踏み入れたのは昨年の5月、Neon Gold Music Blogにある曲を投稿したときでした。それ以来、ブロゴスフィア(インターネット上のすべてのブログとそのつながり)やソーシャルネットワークを通じて、私たちについて(レーベルやメディア、メンバーの個人情報を含む)多くの人が知ることとなりました。それ故に、私たちにとって自分たちでやっているソーシャルネットワーキングサイトで、バンドを大切に思ってくれている人たちと直接コミュニケーションをとることはとても重要なことになっています。

しかしながら、インターネット上で知られていることには影の部分もあります。先週、私は毎日のようにバンドのソーシャルネットワークに送られてくるたくさんの不適切なメッセージの一つのキャプチャーを投稿したんです。投稿をしたあと、どんどん人がその投稿にコメントを寄せるのをあんぐりと口を開けながら座って見ていました。これを書いている時点でFacebookのステータスは、その投稿がそのページ自体を購読している人数の5倍にあたる582,376人に届き、その画像の下には1000にも及ぶコメントがつきました。そのコメントはうんざりするようなものと不快なほど下劣なものです。後者のカテゴリーからの私の今のところのお気に入りは

 

「これはレイプカルチャーなんかじゃない。俺がお前をレイプしてるときにレイプカルチャーを知るだろうよ、ビッチ」

 

「俺はお前の住所を知ってるからお前の家に行ってケツ穴ヤってやるよ。好きなんだろクソヤロウ(笑)」

 

「あばずれみたい振舞って、あばずれみたいに扱われろよ。」

 

「それはキミが我慢するということを学ぶ必要のある物事のひとつだよ。もしそんなにすぐ腹を立てるなら音楽業界はキミには向かないね。」

 

でも、なんで女性はこれを“我慢”しなくてはならないのでしょうか?今、私がやっているこの仕事ができるのはとてつもなくラッキーなことです。そして私たちのことを気にかけてくれるインターネット上の人たちがいなければ生活のために音楽を作るのは不可能だという事実も痛いほどわかっています。しかし、それが私のような立場の女性への話しかけられ方だったからといって、私がこのようなコメントをする人たちをいいわよと受け止めなければならないのでしょうか?

 

私はこの業界ではコメントも批判もあることをしっかりと受け止めています。いつでも悪いレビューがあるでしょう。それが自由出版物や言論の自由の本質ってものです。この業界にあなたの作品を出すときには、人々がそれにコメントをするという事実を受け入れなければなりません。しかしそれを読むか読まないかはあなたの選択なのです。(Kathleen Hannaがこれについてこのインタビューでうまくまとめてくれています。)

 

しかしながら私が受け入れないことは、人々が“性差別主義者だけどほとんど無害”なものから“隠したてもせず性的に攻撃的なもの”までに至るコメントをするのを差し支えないとすること、そしてそれをたまたま起こったことだとすることです。女性を擬物化することはありふれたことだから愚痴を言わずにそのまま従って敗北を受け入れなければならないのでしょうか?そうではないと願っています。 擬物化することは、それの形式はなんであれ、だれかが“ただ我慢”しなければならないものではないのです。

 

私たちがFacebookのページをはじめてから、いいものから悪いものまで受信ボックスに入ってくる様々なメッセージを見てきました。あらゆることが忙しくなり、CHVRCHESのスケジュールがタイトになっていくにつれて、たくさんの人たちがメッセージをみるというルーティーンを続けるのをやめた方がいいと言ってきました。しかし私にとって、ファンが個人的な接触で与えてくれる私たちへの関心を尊重していると彼らに知ってもらうことは大切なことなのです。たぶん人々は、私たちがソーシャルネットワークを、私たちのためにやってくれているアシスタントのチームを持っていると思い込んでいるでしょう。頼んでもいないのに“アナル”についてメッセージを送ってきたたぶん男の人(ごめんなさいね、でもすべて男の人なの。)は実際にメールを読む人が私だなんて気付いてないのです。それか彼らはどちらにしても気にしてないのかも。しかしバンドとなにかを共有したいと心から思ってくれている人たちからメッセージを受け取るために、私は人を見下したようなメッセージや攻撃的なメッセージをふるいにかけなければならないのです。

 

私はそんなメッセージたちを毎朝起きると読んでいます。サウンドチェックが終わってからも読みます。バスのなかや休憩をとっているときにケータイにEメールやその通知がくる度にそれを読んでいるのです。そしてしばらくしてから、大抵の肯定的なメッセージをよそに攻撃的な煩わしい他の種類のものが圧倒的になってしまうのです。今回のツアーの間に、トイレで長時間泣いてしまったことが一度ではないこと、そして「ほら、しっかりしなさい。元気を出して。」といったような会話をとてつもなく苛立って疲れきったときに洗面所の鏡に映る自分としたことを恥ずかしいけれど認めなくてはなりません。だけどそのとき、すすり泣きが終わったあと、私は自分に聞いたのです。「なんで私はこんなことのために泣いているの?なぜ私は侵害され、居心地が悪くて、貶められたように感じているの?なんで黙っていなくちゃならないの?」と。

 

女性たちは毎日このように話しかけられています。それは公共の目に晒されている人に限ったことではありません。Everyday Sexism Project は存在する必要がないというようなキャンペーンは軽い性差別ですが、それは驚くほど一般的に浸透してはいません。私は今まで一度も、一般の人だとしてもそうではなくても、男性はそのようなコメントを受け取らないなどと言ったことがないことをここに記しておかなければなりません。しかしながら、知っている限りのことを話すと、たくさんの不快なメッセージは、他のバンドメンバーに比べてダイレクトに”ガールシンガー”である私に当てられたものです。また、これは男性嫌いとは関係のないことだとはっきりさせておく必要があります。私は自分をフェミニストだと思っていますが、フェミニストのとても基本的な定義である「性別間での平等性を探す人」に同調してのことです。私は今、そしてこれまでもずっと賢くて理解のある男性たちとバンドをやってきたし、素晴らしい男性を家族や友人に持ってきました。その点をすごく嬉しく思っています。

 

しかし、たぶんオンラインでの交流というのは男性たちが把握しかねてしまう個人的側面なのです。「もしこれがあなたのお母さんや姉妹、娘さんや奥さん、彼女へと送られたらあなたは見逃すの?」というのは尋ねるには明らか過ぎてしまいますが、基本に立ち返るということは荒らしをする人や4ch(海外の2ちゃんねるのようなもの)中毒の人たちが必要なことです。共感するということを少しは学ぶこと、他の人に対して敬意を抱くこと、話す前に考えるということです。

 

私にもたくさんの欠点はあります。(たくさん遅刻をしてしまう、不安になりやすい、なにも焼けないほどの料理のできなさ、などなど。)ばか正直であるということはここには含まれないですけどね。私は音楽業界の様相やメディアについてはしばしば皮肉的に捉えていますし、オフの時には私たちのために、そして特に私自身のために、私たちがミュージシャンとして真剣に受け入れられるような明確なことをするのを避ける必要があると確信していました。だからラッキーなことに、物事を私たちのやり方で出来たし、優れた作品を作って、レーベルやマネージメントからの“女の子をフロントにしよう”という音楽自体とはほとんど関係のないレコードを売るための青写真に従わされるという悲劇とも無縁でした。

 

私はこの記事に寄せられるコメントも、私の最初の投稿に寄せられたものと同じくらいバラエティに富んだものだろうなとほとんど確信しています。私は殉教者ではありませんし、なにか革命的な方法で世界を変えるつもりでもありません。私はバンドのメンバーであって、変化を希求する団体にいるたくさんの素晴らしい人々の一員ではありません。この論議に関わろうと思ったわけは、独善的なものでも、自己憐憫的な衝動でもありません。私の望みは、もし、ここから何かいいことが生まれてそれが会話の引き金となることや、もうすでに起きている会話を続けさせること、そして黙認している現状をはねのける勇気を与えること、私たちのバンドがしていることを私たちのやり方で自分たちなりに続けていくことです。私たちにとって、これはこれまでも、そして願わくばこれからも、音楽に関することであり、それが私たちが立ち返ってくるところなのです。

ロ-レン・メイベリー